日曜日について

日曜日はたいてい10時ごろ起きる。そんで2時間ほどゲームをする。『戦国無双』が最近のお気に入りだ。今年の2月に発売されてからというものトータルプレイ時間は160時間を越えている。なかなかご機嫌なゲームである。そして区切りの良いところでゲームを終えると昼ごはんを摂る。サンドイッチなんか食べたりして日曜日らしさに拍車を駆けてみる。その後少し小説を読んで人生や愛について考えてみたりもする。そういったキモさも忘れない。最近は村上龍の『村上龍文学的エッセイ集』という本を読んでいる。タイトルに自分の名前を入れちゃうあたりに村上龍の凄みを感じながら、2時間ほど読んで、村上龍に叱られた気分になる。印象に残った村上龍語録を繰り返し噛締めながら、その後、行きつけの酒屋に一週間分の酒を買出しに行く。そのついでに、散歩しながら新しい下着や髭剃りの替えの刃や次に読む本などを買ったりする。気が付くともう夕方になっており、最後は健康ランド的な行きつけの銭湯で2時間たっぷりと汗をかく。そして家に帰ってビールを飲む。これが僕の日曜日の定番だ。

そしてこの中で最も欠かせないのが最後の銭湯である。銭湯は本当にキモチが良い。一週間分のストレスや考え事、そんな負の要素がすべてリセットされる。日曜日の銭湯にはそんな効果もあるのだ。

日曜日の夕方の銭湯には家族連れが多い。普段ならガキがピーピー騒いでいたら「ちゃんと躾けろよ」とイライラする僕だが、こと銭湯に限って言えばそれは無い。「家族っていいな」なんて思ったりする。毎週日曜日に銭湯に行くようになってからというもの、家族を持つということについて最近ちょっと考えるようになった。僕はもう25歳なので何も銭湯で見かける家族連れに触発されているわけじゃなく、年齢的にそういうことについて考えるようになったのかもしれないけど、つまるところ、最近「家族を持つのも悪くない」と思うようになってきたのだ。

お父さんという存在は子供から見ればおっきくて頼りがいのある存在であるべきだと思う。僕も小さいころ自分の父親にそんな思いを抱いていた。でも銭湯で毎回思うのは「この父親弱そうだな」とか「このオヤジ不細工だな」とか「この親は頼りなさそうだな」とかそんな人ばっかりだ。「こんな頼りなさそうなやつが父親でいいのかな」なんて心配になっちゃう親ばっかりなのだ。風格みないなものが無い。裸じゃそりゃ風格ないだろってのもあるけど、それを差し引いても昭和的な威厳に満ちた父親が少なくなったと思う。でも当の子供は自分の父親をそんな風には思わないだろう。他人から見たら情けない人間でも子供から見たらおっきくて頼れる存在のはずだ。そんな風に思うと、今のところ全く父親の要素を備えてない僕でも家族を持ってもいいんじゃないか、って思えてきて、徐々に「いづれ自分も家族を持ちたい」と思うようになってきたのだ。

どんなにかっこ悪い父親とその子供だとしても、親子で楽しそうに銭湯でくつろいでるのを見てると暖かい気持ちになる。見てて暖かいなら中にいたらもっと暖かいに決まってると思うと、家族が欲しいなんて思うわけで。

そしてお風呂から上がるとその健康ランドにはお座敷の作りをした、お酒やご飯を食べられるところなんかがあるわけで、そこでは、お風呂で見かけた親子連れが母親と合流して家族仲良く夜ご飯を食べているのが目に付くのだ。そんな光景を横目に一人で家に帰る僕が「家族っていいな」と思うのはそりゃ当たり前の話しで、つまり、お風呂上りに一人で家に帰ってからビールを飲む側の人間じゃなくて、お風呂上りに可愛い奥さんと愛しい子供と一緒にお座敷に座ってテーブルを囲んでビールを飲む側の人間でいたいと思うのだ。その光景を羨ましく思っているのに、見て見ぬフリをしながら一人で家に帰るのはけっこう辛いのだ。

働いてからなんか打たれ弱くなってきたかも。ニートな僕はもっと強かった気がする。風呂上りに楽しく飯食ってる家族とか見かけようものなら、平気で「クソが!」ってツバ吐く、そんなたくましさがあったような気がする。働くと人間終わるね。ちょっとがんばりゃ手が届きそうな安定に目がくらみがちになる。ホント気をつけないと。何が健康ランドで家族団らんだよ!一生やってろってんだよ!男はサウナで汗流したら手ぬぐい肩にかけて一人飄然と銭湯を後にするんだよ。ですよね?菅原文太の兄貴?

まぁ、アレだ、長いこと付き合ってるけどいまいち結婚に踏み切れないでいる男は日曜の夕方に一人で健康ランドに行けばいい。イチコロだよ。