料理センス

僕は料理を作らないタイプの人間だ。はっきり言えば、作れないのだ。

一人暮らしをはじめた五年前のこと。初めの半年は悪戦苦闘しながらも、割と頻繁に料理を作っていた。しかし、自他共に認める事実、僕の料理センスはこの上なく酷かったのであった。

スパゲッティーがラーメンのようになってしまった日もあれば、リゾットがお茶漬けになってしまった日もあった。そして、もう二度と料理を作らないと決心した日は、餃子がワンタンスープのような代物になってしまった一件だ。どのようにすれば餃子がスープになるのかは、その料理過程を想像していただければ容易に察することができるだろう。あれにはまいった。もともとスープが食いたい気分だったのだと自分自身に言い聞かしたものの、やはり心の傷は深かった。

そのとき、数年前に死んだおばあちゃんの言葉をふいに思い出した。「ウソをついたり悪いことをすると、かならずそれを見てる人がいるから、正直に生きなさい」と。餃子がスープになってしまった夜、その悲劇的な料理を前にして、僕はもともとスープが飲みたかったのだと自分にウソをついた。そしてついに僕はおばあちゃんの言っていた言葉の真の意味を知ることとなった。誰かが僕のウソや悪行を見ていなかったとしても、ただ一人、すべてを知る人がいる。自分自身だ。そのおばあちゃんの言葉の意味を身をもって知ったとき、僕はもう二度と料理を作らないと決心したのだった。ありがとうおばあちゃん。

あのとき僕は紛れもなく餃子が食いたかったんだ。すでに片手にはフライング気味にビールをスタンバっていたんだ。スープでビールが飲めるかって話ですよ。